テラ・ロ−ザの校旗のもとに(創立130周年記念誌から)
創立者 上野 清
1854年江戸に誕生〜1924年没。
幼時、幕府・昌平黌で漢学を修め、数学を長兄の継光や福田理軒・治軒に学び、さらに独学で数理を攻究。明治5年18歳で本校前身「上野塾」を開く。明治8年華族会館(学習院前身)へ数学教授として招聘。他校で数学教授を兼任。数学著書60冊余。明治数学教育への多大な貢献者。
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本校の校章は、創立者・上野清が考案したものです。明治40年に本校を卒業し、「路傍の石」「真実一路」などの優れた作品を著した作家・山本有三氏は、上野先生を敬愛し、この校章にも愛着を持っていました。 |
本校の沿革 |
■明治5年8月(1872)
上野清、東京府第5大区7小区上野西黒門街11番地
(現在の台東区上野1丁目)に上野塾を開き数学を教授する。
■明治21年7月 (1888)
上野塾の組織を改革、東京数理学校として神田区猿楽町に移転。
■明治23年2月(1890)
東京数理学校を解消。神田区猿楽町2番地に新たに東京数学院を開校。
■明治26年12月(1893)
東京数学院に尋常中学部を設立、認可を得る。
■明治27年9月(1894)
宮城県仙台に東京数学院宮城分院を設立。後、東北高等学校となる。
■明治29年12月(1896)
尋常中等部を東京数学院尋常中学と改称。
■明治32年3月(1899)
東京数学院尋常中学を東京中学と改称。
東京数学院(数学専修の学校)を神田区中猿楽町15番地に移転。
■大正11年4月(1922)
東京実業学校(東京実業高等学校の前身)を併設
■昭和9年4月(1934)
大森区調布嶺町2丁目52番地(現在の大田区鵜の木)に東京中学校を移転。
■昭和22年4月(1947)
戦後の教育改革で新制東京中学校が発足。
■昭和23年4月(1948)
新制東都高等学校発足。本校を普通科。
蒲田の東京実業学校を東都高等学校工業科、商業科とする。
■昭和25年11月(1950)
蒲田校を分離独立、東京実業高等学校とする。
■昭和29年10月(1954)
高校名を東京高等学校と改称。
■昭和46年4月(1971)
男女共学制実施。創立100年祭。
■平成14年10月(2002)
創立130周年
■平成18年3月(2006)
3号館完成
■平成19年2月(2007)
新体育館完成
■平成24年11月(2012)
創立140周年記念式典
■平成31年(2019)
創立147周年
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校舎の変遷 |
明治19年の三田英学校。上野清はここで教鞭をとった。 |
大正2年 |
大正2年記念はがき |
昭和27年 |
昭和29年 |
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